北京・西寧・西蔵(チベット) 2007年4月27日〜5月3日

5月連休に会社関係のツアーに参加した。 目指すは”風が経を読む”チベットのラサ。 北京から入り、故宮・万里の長城に行くおまけつき。 飛行機で北京から青海省の西寧に移り、西寧からは開通して間もない青海チベット鉄道に乗り、ゴビ砂漠をかすめ崑崙山脈の東端を越えラサに向かった。
北京

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ツアーには16名が参加で、広島空港から大連経由で北京に入る。北京での目玉は故宮と万里の長城だ。
北京は2008年のオリンピックの準備に忙しい。故宮でも主要な建物は修理が進んでいて、威容を眺めることができなかった。
万里の長城は北京郊外の定番『八達嶺』を訪れた。辺境の山々の尾根に龍が這うようだ。 長城を作った人々や要害を守った兵卒達の凄惨さに思いが至った。長城をめぐっては数々の悲劇があるという。雄大だが、うら悲しい景色に見えた。
西寧

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北京から飛行機で1時間半ほど飛ぶと、沙漠の中の雪山といったような光景が窓から見えた。やがて青海省の西寧に着陸。青海チベット鉄道の出発地だ。
西寧は青海省の省都で、海抜2300mの地。かつてはシルクロード南路の要衝として栄えて、イスラム教徒も多い。街はメイ・デーのお祭り準備のさなかであった。
昼食をとったレストランでは少数民族の着飾った少女達が歌を披露してくれ、帰りには店の外に出てバスを見送ってくれた。
夜の列車まで、市場や繁華街を見学する。近代的なデパートと古い市場が妙に溶け合っていた。思えば日本もそんな時が、一昔前にあった。
青海チベット鉄道

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20時半過ぎに西寧駅を列車は出発した。ラサまで1956km、26時間の列車の旅が始まる。客室は硬座の寝台車で、3段ベット2列の6人分が1室となり、大阪からの人達と一緒になる。
朝7時過ぎに目を覚ますと海抜2800mのゴルムドの駅に停車していた。ここから残り1142km中、960kmが海抜4000mを越え、550kmの区間が永久凍土という。
窓の外は沙漠と岩山が続き、法顕伝にある『地に走獣なく、天に飛鳥なし』を彷彿とさせる世界の連続で、私が持ったイメージは『荒涼』。 4300mを越えたころから高山病でひどい頭痛に苦しんだ。
ごく稀に線路近くに人がいると、決まって手を振ってくれる。東海道新幹線の開通当時を思い出した。
ラサ近くになって薄暮のころ、月が風景に趣を添えてくれた。
ラサ

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ラサの海抜は3700mで、日差しが強く雨も少ないことから『太陽のラサ』と言われるそうだ。街では小旗のような布が多い、経文と仏像が印刷されていてタルチョと呼ばれる。 タルチョは屋根の上や塀の風の通り道に掲げられ、"風が経を読む”世界だ。 そしてマニ車と五体投地の世界でもある。
街は巡礼の聖地、ジョカン寺(大昭寺)を中心に広がる。色んな店がジョカンを取り巻き、その中を右まわりに歩いていく。
ラサ郊外の山麓にあるデプン寺はチベット最大の寺で、1950年代のチベット動乱の前には15000人の修行僧がいたという。今も数百人の修行僧がいて、午後には中庭で問答の修行がけたたましく行われる。本堂前には羊がいた。太陽熱湯沸かし器もあった。
ジョカン寺は五体投地を繰り返す巡礼が後を絶たない。母親と祈る娘さんが観光の我々にも五体投地を試してみろと勧める、彼女の屈託のない笑顔が忘れられない。

ポタラ宮殿

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これも世界遺産の写真集で見て、いつか行ってみたいと思っていた所だ。
観音霊場の西国三十三カ所を回っているときに、ポタラとは補陀洛(ふだらく=観音浄土)のことと知ってからは、尚更であった。本来の主は観音様の化身とされるダライ・ラマであるが、1959年中国の侵攻でインドに亡命中だ。
見学は1日2000人までの予約制で、グループ毎に時間の割り当てがある。内部は上り下りが激しく、すぐ息切れをおこしてしまう。
中に経が収められ一回まわすと一回お経を読んだことになるというマニ車を回してチベットの人は宮殿に入っていく、そして五体投地も。Tibetanは”祈りの民”なのだ。
夜にはライトアップされ、中国政府が観光化政策のために作った公園では光に彩られた噴水のパフォーマンスのサービスもあった。
ほんの少し立ち寄った程度だが、チベットに行って「なぜあんなにところに人が住んでいるのだろう?」と思って帰ってきた。若い知人にそれを伝えると、「そこに生まれたから」と返ってきた。至言である。