いままでの表紙の写真
このHPのトップに使った写真を集めてみました。もっとあったように思うけれど忘れてしまった。少しレタッチした浅間山の写真は最初に作ったHPから使っていたもの。
横浜に単身赴任していた1999年のゴールデンウィークに信州の『無言館』にいった。「僕の実家の近くだから一緒にいこう」と会社の大先輩のKさんにつれていって頂いたと言うべきだろう。Kさんに案内いただいた碓氷峠からの浅間山の夕景。
2002年4月1日から岡山での単身赴任が始まった。その前日の3月31日、家内の運転で岐阜羽島駅に向かう途中、家の近くの公園にさしかかってシャッターを切った。子供達が幼かった頃、犬も連れてよく来た場所だ。今思えば、写真のような家族の時間をもっと持っておけばよかった。
サイパンが好きで3回行った。初めて行ったとき、小学6年生の娘がバンザイクリフの慰霊碑の前で泣いた。2度目に行ったとき、80歳の母がスーサイドクリフの観音様に額づいた。

倉敷から西に下ったところに寄島の町がある。少し沖に小さな島が三つ連なっていて三郎島と呼ばれる。三郎島と瀬戸大橋を重ね、そこに昇る朝日を写そうと思った。出勤前に2回、休日に2回行ってようやくイメージに近い写真が撮れた。
2002年8月、会社の夏期連休にY君と高知・鳴門に行った。高知でよさこいを見ていると突然の雨となった。Y君がさしてくれた傘の下でこのショットを撮った。
笠岡と寄島の中間に小高い御岳山がある。会社のKさんが先に撮った写真を見て、自分も行った。写真の島々は笠岡諸島。穏やかな瀬戸内の空気も撮れてたと思っている。
2006年のゴールデンウィークはカンボジアに行ってみた。写真はアンコールワット手前の池。
2006年8月、三度目の鳴門の阿波踊り。「お前も見ろ」と東京から息子を呼び寄せ桟敷席で合流した。写真は鳴門阿波踊りのフィナーレとなる総踊りの入場。このあと名残を惜しむ乱舞が終わって幕引きとなる。
2006年9月、ニコンのD80を発売と同時に買い、望遠ズームも買い代えた。前からイメージしていた波を撮りに出かけた。下津井にて。
2007年の5月連休に会社関係のツアーで青海チベット鉄道に乗る。崑崙山脈の東端を越えたころの風景。 ♪月の沙漠をはるばると・・・・朧に煙る月の夜を・・・・♪
2007年2月、倉敷美観地区にて。

瀬戸大橋の夕景を撮りにいったが、狙った橋ではなく振り返った反対側の方がきれいだった。 (2008年2月)

飛騨古川、大好きなところ。渡辺酒造という会社の蔵の脇に、亭主と嬶の石彫像がある。 (2009年12月)

8年9ヶ月を過ごした勤務地倉敷を2010年12月末に離任。お世話になった皆さんありがとうございました。 (2010年12月)

リタイアしたら行こうと決めていたニューギニアに行った。村の小学校の校庭脇から夕陽をとっていると先生や奥さんや子供たちが集まってきた。心温かい”さようなら”。 (2011年6月)

北陸三十三ケ所を巡っていて、夕方に魚津の漁港にたどり着いた。何故かこの「見つめ合う灯台」に惹かれた。もう春を感じさせる穏やかな潮風の中、港のはずれでは釣り人が静かに糸を垂れていた。 (2012年2月末)

秩父三十四ケ所を歩いていて野辺の花の多さが嬉しかった。遠路の巡礼を迎える古くからの秩父の流儀なのだろうか。優しい秩父を感じた。 (2012年5月)

越中八尾の『おわら風の盆』。秋風が渡りはじめるころ、しみじみと風の盆を楽しんだ。 (2012年9月)

鎌倉三十三ケ所を回ったとき材木座海岸で弁当を食べた。若者が遊ぶ海を眺めながら、細かい砂が飛んでふりかかるカツ丼弁当だった。 (2012年10月)

紅葉を求めて上高地に行った。穂高連峰は雪化粧で迎えてくれた。天気にも恵まれ晩秋の上高地が楽しめた。 (2012年11月)

新穂高ロープウェイの『サンセット・ロープウェイ』という企画があって、夕焼けに染まる北アルプスの峰々の景観を楽しみに出かけた。山々は朱に染まらなかったが、薄雲が残る淡い夕景となった。 (2012年11月)

若狭三十三ヶ所を車で回っていた時に、小浜市の田烏で国道162号に出ると目の前に広がった入江の景色。晩秋には不釣りあいなほど青く澄んだ海に、家内とそろって綺麗だと声を上げた。 (2013年11月)

2003年にインドにいった時の写真だ。ジャイプールのホテルの庭隅で、薄明りの中で踊っていた。ホテルのステージとは違い素朴で物悲しく、カメラを構えるのさえ何故か躊躇した。ノー・ファインダー、ノー・フラッシュでシャッターを押した。カメラはFujiのFinePix S2 Pro、レンズはNikon 35-70F2.8。これ以来、デジカメ一本になる転機をもたらしたショットとなった。”旅衣”10周年を迎えて一ヶ月間だけ蔵出し再登場。 (2003年10月)

所用があって岡山に出かけた帰路、日生(ひなせ)に寄って「源平放水合戦」を観た。正式には「備前市消防団日生方面隊放水訓練」というようで、消防出初め行事の〆に行われ60年の歴史があるそうだ。稚戯にも似た水かけ、本職が寒中にやると凄まじい。本気で始めた先人は偉いと思った。 (2014年2月)

越後三十三ヶ所を回った時に長岡市で見た「米百俵の群像」。戊辰戦争に敗れ窮状にあった長岡藩に支藩から贈られた米百俵、 米を分けろと迫る藩士に「この百俵の米をもとにして、学校をたてるのだ」と説く小林虎三郎。説く方も、説かれて受け入れる方も偉い! (2014年4月)

雨が多く短い夏が終わろうとしていた。去っていく夏を追うように能登三十三ヶ所をまわった。能登半島の突先で夕陽を眺めた。神奈川からきた若い女性と金沢の同年の男性と三人で眺めた。 (2014年9月)

島根の出雲三十三ヶ所を廻った帰りに広島県福山市の阿伏兎観音に立寄り、更に明王院に車を向かわせると鞆の浦に出た。柔和な色合いの朝の瀬戸内の空と海だった。単身赴任中に幾度か朝夕に瀬戸内を撮ったが、この独特の優しげな色合いが懐かしく、車を止めてシャッターを切った。(2015年4月)

「月の沙漠」の曲が大好きで、昔 ジャズにハマっていたころ我流で下手ながら色々なアレンジをSaxで楽しんだものだ。この曲をカバーしたCDも何枚か持っているが、本田竹広さん熱演盤は今でも聴く。「朧にけむる月の夜」の世界に甘い情念が淡く拡がっていく、、、。 坂東三十三ヶ所巡拝途上 千葉県御宿 月の沙漠記念公園 (2015年5月)