越後三十三観音観音霊場 三日目 20014年4月15日
| 朝早く目覚め、宿の朝食の時間にも間があるので大河津分水の桜並木を撮りに行った。その帰りに信濃川を分水させる堰を見た。信濃川の新潟中流域を洪水から守るため、一部を寺泊の日本海に流す大治水工事があったことを知った。 | |
| 大河津分水の桜 日本さくらの名所100選 | 信濃川(右)の流れを堰で分けて大河津分水路(左) |
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| 国上寺は1300年前に弥彦大明神のご宣託によって建立されたという越後最古のお寺で、本尊阿弥陀如来像は行基作と伝わる。聖徳太子作とされる千手観音は方丈講堂に祀られ、その観音を篤く信心した上杉謙信が十万石の格式を国上寺に与えたという。 また本堂には源義経が身を隠していたこともあったとされる。 | |
| 二十二番 国上寺 本堂 燕市国上 | 方丈講堂(観音堂) |
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| 親鸞聖人にまつわる門があった。案内書きによると、聖人が越後に流されていた時に大蔵経を読みに訪れたが、「お前の来るところではない」と追い返されたという。国上寺内には良寛が二十年住んだ五合庵もある。 | |
| 親鸞聖人追い返しの門 | 「やすらぎを授けてくださいます」と |
| 二十三番 観音寺 弥彦村観音寺 | 彦なび交流センター 充電のお世話になる |
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| 充電中の時間つぶしに弥彦公園の桜を眺めていると、駐車場から公園の歩道に下りられないで困っている様子の母娘を目にした。90歳になるという母親を抱きかかえるようにして歩道に下してあげた。後姿が私の母親にそっくりで、いつまでも見送っていた。 | |
| 弥彦公園にて | 二十四番 景清寺 新潟市西蒲区平沢 |
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| 新潟市の海辺に出た。灯台が立つ角田岬を撮りたっかたのだ。駐車場から20分ほど岬を登ってきた。緑濃い岬をイメージしてきたのだが、まだ冬枯れの色だった。ここでおにぎりを取り出すと、家内が風が寒いから車に戻って食べたいという。それを受け入れたのが痛恨事だった。風が吹こうが寒かろうが、ここでしか味わえないおにぎりを食べるべきだったと悔やまれる。 | |
| 角田岬灯台 | 名勝 判官舟かくし 義経が身を隠したと |
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| 五十嵐浜 新潟市街へ | 新潟市の街中に来た |
| 二十五番 真城院 新潟市中央区西堀通 | 和むお顔立ち |
| 二十九番 宝積院 聖籠町諏訪山 | |
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| 立派なお堂の前で何を念じているか? 一心に一事を念じるのが本来であるが、欲深い私は、あれもこれも叶えて下さいとお祈りしている。 | |
| 宝積院 観音堂 | |
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| 新発田の加治川堤の桜並木は、大正天皇の即位を記念して植樹された6000本の世界一の桜並木を誇ったが、昭和41、42年の大洪水で崩壊してしまった。平成に入ってから名勝の復元が進められている。今は2000本ということだが、地元の人々の熱意と努力を思うと一際うつくしく見えた。 | |
| 二十八番 白蓮寺 新発田市五十公野 | 加治川堤の桜 新発田市 |
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| 海辺の国道402号に出て、閉鎖された施設「越後の里」にぽつねんと残る親鸞像を見る。これも日本海の風雪に耐える姿である。 | |
| 越後の里親鸞像 胎内市 | 二十六番 乙宝寺 胎内市乙 |
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| 乙宝寺には4時半過ぎの到着となった。もう戸締りの準備をされていて慌ただしい参詣となってしまった。 乙宝寺は聖武天皇の勅願により行基らが開山したと伝わる越後きっての古刹であり、今昔物語にもある写経猿の逸話が伝わるお寺。 | |
| 乙宝寺 観音堂 | 三重塔 (1619年建立 重文) |
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| 夕方近くに小雨の空模様となったので、泊地村上での夕陽をあきらめ5時を過ぎたが光浄寺で納経の受け入れをしていただく。奥さんが応対下さり、地元のことを色々と教えて下さる。札所巡りの話も盛り上がった。 奥さん「みなさん遠くから越後にこられますが、他所からみて越後ってそんなにいいの?」 私 「名前がいいのですよ、エチゴ。つい旅に出たくなるような響きがありますよね」 |
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| 二十七番 光浄寺 村上市有明 | 村上市郊外 |
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| 海辺の瀬波温泉の宿に向かう | 若きヒーローの誕生 宿にて |
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