飛騨三十三観音霊場巡り 第三回 神岡から高山へ 平成24年4月15〜18日
飛騨古川からバスで再び神岡に入る。今回は神岡から国道471号線沿いに奥飛騨温泉郷へ、そして国道158号線沿いに高山へ入るコース。バスが頼りだが、471号線を走る富山からのバスは本数が少なく、バスの時間に間に合うようキツイ歩きもあった。
円城寺は古い神岡の街中にあり、古川からのバス停に近いので到着と同時にお参りを済ませた。
| 第十六番 円城寺 |
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本堂 |
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翌日は神岡の街を見下ろす洞雲寺からスタート。両全寺に向かう途中の神岡の街外れに、大原騒動と呼ばれる江戸時代の一揆で獄門となった義民善九郎の像が立つ。
| 第二十六番 洞雲寺 |
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本郷村善九郎 一揆指導者の一人で、当時18歳 |
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洞雲寺から両全寺までは3.5qほどだが、緩い登りを歩いて50分近くかかった。両全寺から本覚寺近くまではバス利用。
| 第二十三番 両全寺 厚いもてなしをお受けする |
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第二十四番 本覚寺 |
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本覚寺から桂峯寺までは5.5q。前半下りで後半は登り、下り道を早く歩いて時間を稼ぐ。10sぐらいの荷物を携えているのでかなりこたえる。桂峯寺近くまで来て先にバス停を探すと、たまたま桂峯寺への近道となる石段を見つけた。このつづら折りの石段もきつかったが、遅れを取り戻すことができた。桂峯寺から次の札所までは10q以上あり、再びバスで。
| 第二十八番 桂峯寺 |
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濃飛バス 富山線・平湯温泉行き 長倉のバス停にて |
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永昌寺の近くの田頃家というバス停で降りると、焼岳が見えた。ここは上宝で、高校時代に山の家があって焼岳に登ったことを思い出した。
| 焼岳 奥飛騨温泉郷田頃家から |
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第二十五番 永昌寺 |
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永昌寺から禅通寺まで3.6qを歩む、これも緩い登り勾配の道だ。途中、道の駅で休憩。飛騨牛乳のコーヒー牛乳を飲む、コーヒー牛乳って何年ぶりだろう、、。幾つかの温泉旅館を通り過ぎて禅通寺に。奥飛騨温泉泊。
| 第二十九番 禅通寺 |
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三日目もバスと徒歩だが、新穂高ロープウエイと高山を結ぶバスが1時間に1本あるため過度に時間を気にする必要はなくなった。
| 第三十番 慈雲寺 |
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第三十一番 善久寺 |
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善久寺近くのバス停は「鍾乳洞口」。道しるべに両面宿儺像が立つ。坊方というバス停で降りて、春ののどかな道を正宗寺に向かう。色んな花が咲いていたが、私にはタンポポと土筆ぐらいしか分からない。
| 鍾乳洞口バス停 両面宿儺像 |
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春が来て |
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正宗寺では若い住職ご夫婦が応対下さった。ここから一旦バス停近くまで戻り昼食をとって、最後の難所の千光寺に向かって5kmを歩き始める。途中に美女島橋という橋の名に目が留まった、どんないわれが伝わるだろうか?
| 第三十二番 正宗寺 |
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美女島橋 |
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後半は標高差300mの登りになるが、延々と蛇のようにうねる車道を行くとすっかり疲れて何度も腰を下ろし休んだ。八丁坂という歩いて登る山道があるはずだが、ふもとでは登り口が分からなかった。八丁坂に出たのはかなりお寺に近づいてから。ようやく境内に入ろうとすると伐採の最中で、倒れた木々をよけたり登ったりして本堂に着いた。
| 八丁坂 残り二丁でこの坂を登る |
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本堂下まで伐採された木が続く |
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千光寺は江戸時代の「近世畸人伝」に円空が立ち木に仁王を彫ったと挿絵と共に記載がある寺だ。円空にゆかりが深く、円空仏寺宝館がある。千光寺を終えて4.4qを戻り、丹生川中学前のバス停から高山に。
| 第三十三番 千光寺 標高800mあまり |
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円空仏寺宝館前 |
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今回は三十三番で満願とならずまだ、十番と九番を残している。十番へは高山駅でバスをおり、夕方に詣でた。同年輩と思しきご住職が応対下さる。
| 第十番 冷泉寺 |
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満願となる九番大幢寺は高山から8qほど南の飛騨一ノ宮駅の目の前にあるが、JRやバスの便が思うようになく最終日に岐阜への帰路寄ることにした。境内横の国の天然記念物の臥龍桜をゆっくり見たいことも大幢寺で満願とする理由にあったが、桜祭りは行われているものの開花が遅れまだ蕾であった。
| 第九番 大幢寺 |
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臥龍桜 |
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飛騨の厳しさと温もりを覚えた札所巡りだった。厳しさについては、自然の厳しさもさることながら、都市部よりも急速に高齢化が進む山村の現実に強く感じた。そんな中で、若いご夫婦で応対下さった正宗寺が異様に映りさえした。ごく普通の光景のはずなのに。
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