能登三十三ヶ所 四日目 2014年9月14日


最終日は七尾の街の宿から出発。七尾市の南から中能登・羽咋と回って帰路に着くコース。
8番 江曽観音堂  七尾市江曽町
   
9番天平寺跡は石動(いするぎ)山頂上付近にあってここも難所の一つ。国道159号から入って県道を行き、山へは4qの林道城石線を登る。林道の半ばまで行くと通行止めとなっていた。示されていた迂廻路どおり一旦麓まで下り、別の林道を登って行く。この林道は6qもあり落石も多く、図らずも今回最大の難所となった。
通行止、大きく迂回する 9番 天平寺跡 大宮坊(復元) 中能登町石動山
   
中世には360の院坊を数え石動信仰の中心であった天平寺は、織田軍勢の焼討で打撃を受け、更には明治の神仏分離令で壊滅し遺跡群だけが残る。遺跡は能登歴史公園と接し、よく整備されている。公園に中能登町の石動山資料館があり、ここで御朱印を頂いた。
 旧観坊 江戸時代にあった58坊のうち唯一現存  伊須流岐比古神社
神社拝殿 (元権現堂)  動字石 石動の地名の由来となった石、石動信仰のシンボルだった
   
帰りは別の林道をとって遠まわりになるが県道245号に出た。この林道の方が道がよかった。途中、金色の棚田があった。
   
七尾街道を小田中の集落に入って行くと崇神天皇皇子大入杵命墓がある。その左の人家の横の道から農道、林道と入って行くのだが、余りにも狭い。Uターンもできないので突進。1q余り行くと、林道下にお堂がある。
崇神天皇皇子大入杵命墓 狭い農道から林道へ
 
   
立札がある 10番 小田中観音堂  中能登町
   
11番 高畠正霊寺  中能登町  住吉神社と向き合って
   
   
四柳観音堂、分かりにくい場所であった。4軒のお宅で道をきいた。3軒目で地図を書いて下さり、示されたとおり四柳神社の手前を広場に上って行く。しかし登り口が分からないので、神社の前のお宅で尋ねると広場の一番左手から入ると教わる。 
登り口は正面左端にあった  12番 四柳観音堂  羽咋市四柳 
   
   
羽咋に3日ぶりに戻って泉福寺へ。ここも場所が分からず、付近のお宅で尋ねたが泉福寺は知らないと言われる。住吉神社の名を出すとすぐ分かって、表に出て道を教えて下さった。
14番 若部泉福寺  羽咋市本江町 今は住吉神社内 
   
   
輪島の総持寺を開いた瑩山禅師が建立した永光寺は曹洞宗の名刹である。能登はここで結願しようと決めていた。山門前の参道を檀家だという女性が落葉を掃いていた。帰りにはもう一人婦人が加わっていた。道元と異なり瑩山は、女人成道を説き女性を住職にもしたということを思い出した。
13番 永光寺 満願を迎える 羽咋市酒井町   曹洞宗太祖の瑩山禅師開創
   
   

能登トップに