益田西国三十三所観音巡礼 (画像をクリックすると拡大されます)
第1回 飛騨金山・飛騨萩原・下呂 平成24年12月24~26日
尾張三十三所をまだ打ち終えていなかったが、納経帳と地図が手元に届くと行ってみたくなった。山里や町中にある小さな観音堂が大半で、届いた略地図では場所を特定できない。まして地域の人が当番で堂守をされているので、首尾よく尋ね当てご朱印がいただけるものかどうか。 |
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| 第一番 霊感堂 下呂市金山町中切 | ||
| JR高山線・飛騨金山駅に13時過ぎに到着と遅い出発となった。一番霊感堂は駅から飛騨川を渡って30分余りの玉竜寺にある。霊感堂にはご住職の奥様が彫られたという千二百体の観音像が安置されていた。玉竜寺でご朱印をいただいた折に、ご住職に二番・三番の堂守の方の所在を尋ねるが、分からないとのことであった。 | ||
| 飛騨川 中部電力大船渡ダム | 玉竜寺 | 霊感堂 |
| 第三番 潮音堂 下呂市金山町中津原 | ||
| 飛騨川右岸の霊感堂から左岸に渡る。潮音堂はGoogle Mapで所在地を拾えたので迷わず到着。白いのぼり旗を見るとなぜか嬉しくなる。お堂は建て替えて間もなく新しい。山の中で「潮音」とは解せないが、近くの川音が潮の音に聞こえることからの命名とされるようだ。増水時にはゴウゴウと轟くからかもしれない。ご朱印を預かる堂守の当番のお宅を、近所で尋ねるが不明でご朱印をあきらめる。 | ||
| 左が右岸、右が左岸 | 潮音堂 | 飛騨川支流馬瀬川 金山町渡 |
| 第二番 弘誓堂 下呂市金山町渡 | ||
| 畑と民家に囲まれて弘誓堂はある。江戸時代から村人に守られてきた、そんな観音堂だ。畑仕事をされていた方に堂守の方を訪ねると、区長さんの所に行くとよいとのことで、教えていただいた区長さん宅を訪ねる。奥様が応対下さり、ご朱印は堂内にあるということでカギを預かる。カギをあけ堂内に入った時に、ご朱印の場所が分かりにくいからと奥様が来て下さった。 | ||
| 弘誓堂 | 村のお堂にしてこの風格 | ところどころで鯉を飼っている |
| 日が落ち山影が伸びてくるとすーっと寒くなる。一つご朱印がいただけなかったのが心残りだが、飛騨金山駅に戻って下呂へ向かう。 | ||
| 益田街道 左は郡上に抜け、右は下呂・高山へ | 飛騨金山駅 | |
| 第三十番 八相堂 下呂市萩原町上呂 | ||
| 2日目の朝は下呂からバスで国道41号を北上し上呂に向かう。この辺りの地名は飛騨川の上流から、上呂・中呂・下呂と連なる。八相堂は龍泉寺にありバス停がすぐ近くにある。八相堂に祀られるのは観音様ではなく阿弥陀様。西国写しのローカルな札所では観音様だけで三十三所を揃えられなかったようで、他にもこういった札所がある。 | ||
| 龍泉寺 | 八相堂 | 境内からの眺め |
| 第二十四番 神通堂 下呂市萩原町羽根 | ||
| 三十番から川を渡り2㎞足らずの所にあるが、見当をつけていた小山の中腹のお堂が間違っていたので里に下り、通り合わせた人に尋ねる。神通堂は先のお堂からさらに500mほど奥にあるという。再び山づたいの農道に戻って歩いて行くと開けた所にお堂が見え始めた。 | ||
| 「であい橋」、いい名前だなあ~ | 神通堂 | まむしに注意! |
| 「南無観世音菩薩」ののぼり旗が掲げられて、村のお堂とは思えないほどの荘厳な佇まいである。しかし、御本尊は観音菩薩ではなく勢至菩薩。境内に「お猿様の碑」があった。いわれを知りたいが、、、。近所の方に尋ね、500mほど離れた区長さん宅を訪ねる。ご朱印は堂内にあるということで、区長さんと再び神通堂に戻って、堂内に招じ入れていただく。 | ||
| 荘厳の風 | 村のお堂とは思えない | お猿様? |
堂内は立派な内陣を供えた造りで、奉納額の多さにも圧倒される。江戸時代から明治・大正に至る奉納額が所狭しと掲げられている。許しを得て写真を撮せていただく。その間、区長さんは木魚のリズムも心地よく読経され、まさに堂に入ったお唱えであった。 |
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| 明和4年(1767年)の奉納額 | 宝暦13年(1763年)、「奉掛御宝前」とある | こちらは文政2年(1819年) |
| 第三十一番 福聚堂 下呂市萩原町萩原 | ||
| 飛騨川左岸に下がって萩原の街に入る。福聚堂は閻魔様などを祀る十王堂。お堂の前の畳屋さんを訪ねると地区の副班長さんで、電話でお堂の当番の方を呼んで下さった。ご足労をおかけし、無事にご朱印をいただく。 | ||
| 福聚堂 | 本来は十王堂 | |
| 第三十二番 示現堂(慈眼堂) 下呂市萩原町上村 | ||
| 福聚堂から1㎞も無い距離だが、一人二人と聞いて歩いてようやく到着。本尊の正観世音菩薩は恵心僧都(源信)の作と伝わる。お参りを済ませ近所の方に堂守当番の方のお宅を訪ねると、かなり遠く戻ることになり、この日は断念。雪がちらつく中で一段と寒さが強まってきたので、飛騨萩原の駅から下呂の街に戻ることにした。 | ||
| 近くまで来ているが、お堂が見つからない | やっと着いた示現堂 | やはり「慈眼堂」の方が合うようだ |
| 第十八番 普明堂 下呂市湯之島 | ||
| 下呂に戻り宿で体を温め、温泉街の奥の小高い丘にある温泉寺に向かう。同境内に普明堂はある。温泉で折れた脚を治した白鷺が境内の松に止まったことが温泉寺の名の由来。 | ||
| 温泉寺 | 本堂(本尊 薬師如来) | 普明堂(観音堂) |
雪の中だが温泉客の参拝姿も見える。本堂前に湯掛薬師の像があり、「下呂の源泉を痛い部分にかけて御参り下さい」とある。膝にお湯をかけてお参りした。この後に近くの十七番の恵日堂に向かったが、目星を付けてあったお堂は札所ではなかった。出会った人に札所のお堂を尋ねるが結局分からず、日が暮れたので宿に帰った。 |
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| 観音様 | 湯掛薬師 | 境内からの下呂温泉街 | |
| 第二十三番 浄聖堂 下呂市萩原町跡津 | ||
| 三日目は萩原町跡津の浄聖堂を目指す。跡津神社あたりにあるだろうと当てずっぽうで山の方に登って行ったが外れた。何軒か家を回って、お堂の場所を教えていただいた。お堂の近くで堂守のお宅を尋ねようと伺った家がその当番のお宅で、奥様がお堂まで足を運んでカギを開けて下さり丁寧に応対いただいた。 | ||
| 跡津七福神 恵比寿様 | 浄聖堂 山ではなく飛騨川近くにあった | |
| 第三十三番 円通閣 下呂市萩原町中呂 | ||
| 円通閣はこの辺りで一番名高い禅昌寺にある。浄聖堂から飛騨川を渡って30分ほどの距離だ。ここは三十三番で一番最後に回りたいところだが、、、。禅昌寺はかつては円通寺の寺名で、勅願寺にもなった寺である。龍泉寺や泰心寺や温泉寺などこの地方の11寺を末寺としており、益田三十三所の創建者の一人が禅昌寺の住職だった事もうなづける。本尊の観音菩薩は伝恵心僧都作。 | ||
| 禅昌寺 高く聳える杉は国の天然記念物 | 円通閣 | |
| 第十六番 甘露堂 下呂市森 | ||
| 禅昌寺前からバスに乗り下呂の街に戻る。この日にどうしても二十一番を打ちたかったから。 まず出向いたのはこれから回るお堂の管理寺となっている泰心寺。お堂の所在をご住職に伺うと、住宅地図で丁寧に教えて下さった。また甘露堂の堂守の方に電話され、お堂を開けていただくようお願をして下さった。甘露堂に行くと喫茶店をされているご婦人が、鍵を持って駆けつけてくれた。帰りに喫茶店で休憩。 |
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| 下呂の街並み | 泰心寺 お堂の場所を教えていただく | 甘露堂 森南公民館の一角 |
| 第二十番 常念堂 下呂市少ケ野 | ||
| 甘露堂からは2㎞足らずの距離。少ヶ野(しょうがの)という珍しい地名は、常念堂の本尊の”正観音”がなまったされる説もあるそうだ。お参りを済ませ、例によって堂守のお宅を尋ねようと近所を回るが留守が続き、数軒目に伺った家が堂守当番のお宅だった。年配の男性が応対下さる。 | ||
| 常念堂 | 同じく正面 | |
| 第二十一番 唵摩訶山(おんまかさん) 下呂市少ケ野 | ||
| 常念堂から歩いて10分ほど。山の岩を穿って作られた、一風変わったお堂だ。岩は念仏岩と呼ばれ、恵心僧都源信がこの岩の上で修行したと伝わる。案内書きに「安永元年、宗龍禅師は大地主の中川武右衛門からの喜捨で石工を雇い、念仏岩に六尺四方の石室を掘らせました。その中に弥勒菩薩の石像を安置し、浄書した多くの玉石を納め、岩上に金像十一面観音菩薩をお祀りして唵摩訶山功徳院を開創しました」とある。 |
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| 唵摩訶山 | 中央の穴の奥に観音様 | 石室ご開帳の記事 お経を書いた石も公開 |
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| 山を下り堂守当番を尋ねようとしたときに軽トラがやって来た。前の常念寺の堂守の方が、ご朱印でお困りだろうと、唵摩訶山の堂守の方を連れて来て下さったのだ。有難いことだ。 | ||
| 第十七番 恵日堂 下呂市森 | ||
| 急いで下呂に戻り前日に分らなかった恵日堂に行く。堂の鍵を預かっておられるお宅はあいにく留守でご朱印をあきらめ、列車に間に合うよう下呂駅に向い帰路に着いた。 | ||
| 下呂の町中の恵日堂 | ||