美濃西国三十三観音霊場巡り 第二回 山県から岐阜市へ 平成24年3月20日
利用交通機関 往路 岐阜駅12番乗場 8:53 富永 9:45 650円 岐阜バス 岐北線 塩後行き 帰路 三輪釈迦前 17:16 岐阜駅 18:05 700円 岐阜バス 加野団地線 市橋行き
行 程 富永バス停から出発 10:45発 歩行距離 地図はこちら 8番 三光寺 山県市富永 9:50着 10:05発 (0.4km) 20番 弘誓寺 山県市椎倉 (椎倉観音) 11:00着 11:40発 (4.2km) 4.6km 7番 龍福寺 関市武儀郡芸川町平 13:00着 13:30発 (4.8km) 9.4km 5番 永昌寺 関市武芸川町高野 13:55着 14:25発 (2.0km) 11.4km 6番 恵利寺 関市武芸川町跡部 14:45着 15:15発 (2.0km) 13.4km 25番 大智寺 岐阜市山県北野 (盗人不知観音) 15:55着 16:25発 (4.7km) 18.1km 三輪釈迦前バス停 16:45着 (1.2km) 19.3km
八番 三光寺
今日は春分の日で彼岸の中日であるが、朝から寒い日となった。山県市は岐阜市の北にあり、中央を長良川の支流の武儀川が流れる。その武儀川にそって古代に北陸に通ずる塩の道があったという。朝に乗ったバスも塩後行きで、その名残をとどめる地名のようだ。
富永のバス停を降りて歩き始めると小さなスーパーの前の看板に「ヘボあります」とある。何だろう?、、冷凍蜂の子? 調べてみるとクロスズメバチの幼虫。
三光寺は城塞を思わせる石垣の上にある。山門石柱に「禁葷酒入門内」とある。葷とはニンニク・ニラ・ネギなどの臭いの強い菜のこと。

三光寺は「あじさいの山寺」として有名だそうだ。その冬枯れのあじさいの中に灯篭があり、碑が刻んである。昭和40年の欧米視察旅行の記念に奉納されたものらしい。

二十番 弘誓寺
次の弘誓寺に向かって山道を下って行くと、道脇に「津波シェルター」なるものが置いてあった。近くの工場が作って出荷待ちのものだろう。一瞬これはいいと思ったが、三陸の大津波のようなものに耐えられるのか疑問が残った。
道を間違えながら民家のような本堂に到着。奥から足を引きずりながら前住職が応対に出てこられた。なんでも前々代の住職の時に本堂再建の資力がなく、山裾の民家に移ったという。なぜか若狭のお寺のおばあさんに聞いた話を思い出した。そのおばあさんは、結婚して間もなく住職の御主人と本堂・鐘楼再建の借金を返済するため13年間托鉢をして行脚されたという。

弘誓寺、名前がいい。弘誓、観音菩薩の衆生済度の誓いをいう。前住職は昭和元年生まれの86歳で、3歳の時に両親に死別しこの寺にもらわれたこと、学徒動員で行った工場の空襲で九死に一生を得たこと、戦後に図らずもこの寺の住職となったことなど、弘誓寺の観音様の思し召しを強く実感されたという。観音菩薩の大慈悲、抜苦与楽や菩薩行などに話が弾んだ。

静かな山里の小道から、山の木立を分け入るように石段を登って行く。俗界と別つ程よい高さを得たところに、古来より村人に尊ばれ慕われた観音堂がある。この寺は造営の昔に、素朴で信仰篤い村人が総出で材木や瓦や石そして梵鐘までも運んだのだ。いい観音堂だ。
お堂に「施無畏尊」の扁額が掲げられている。施無畏とは恐れを無くす観音菩薩のほどこしをいい、観音菩薩のことをもさす言葉だ。その扁額の下には「中尊聖観世音菩薩 聖徳太子御作像 左弼地蔵尊 弘法大師御作像 右補毘沙門天 源定朝御作像」の札がある。

村人が奉じた古い額が多く掲げられている。興味深く見たのは源平合戦と思われる二枚。内一枚のこの絵は一の谷の戦いでの平敦盛を描いたものだろう。「奉掛御寶前 当村東 若連中」とある。この観音様は村の人にとって宝だったのだ。それにしても、なぜ悲劇の若武者の敦盛の絵なのだろう、、、。
七番 龍福寺
何の変哲もない田舎を武儀川の支流に沿って進む。小さな公園があったのでおにぎりを食べた。あいにく龍福寺はお留守で、納経帳に自分で朱印を押した。

5番 永昌寺
武儀川を渡って永昌寺に。沢山ののぼり旗が強い風になびく。観音ののぼり旗は赤い旗あり、白い旗あり、さながら源平合戦のようだ。このお寺でも自分で朱印を押した。スタンプラリーのようでありがたみも薄くなる。

六番 恵利寺
恵利寺に着くころ、後から自転車でやってきた同年代の男性五人組に追い越された。この五人組は永昌寺を出るときにも出会った。観音堂の天井画が面白い。

二十五番 大智寺
関市の恵利寺から山越えをして岐阜市の大智寺に行くつもりで、山道の登り口を恵利寺の方に教えて頂いたが結局わからず、車道を歩いた。で、妙な石を発見。案内書きがあって「毒消し岩」と言われ、飲用にもされたこの川の毒を消したと伝わる。しばらくして例の自転車五人組が追い付いてきて大智寺への道を訊かれた。

大智寺は徳川幕府から葵の紋を許された寺で、勅使門にも金色に輝く。観音堂も禅寺らしい雰囲気を持つ。

大智寺でも残念ながら自分で納経帳に朱印を押した。帰路に着く私を観音像が静かに見送って下さった。