西美濃三十三所巡礼 (画像をクリックすると拡大されます)
第7回 大垣市 満願 平成25年3月22日
| 第二十九番 文殊寺 大垣市錦町 | ||
| 大垣駅前の通りを東へ行くと、観音旗が辻に見えて、路地を入る。街中のお寺らしい佇まいだが、「御宝前」の行灯が威儀を正しているようだ。奥様が丁寧に応対下さる。 | ||
| JR大垣駅 左奥は養老線大垣駅 | 文殊寺 | 境内にて |
| 第二十一番 安楽寺 大垣市赤坂町 | ||
| 駅に戻って北大垣まで2qを養老線にお世話になる。この日は距離が伸びるので、膝のことも考え電車利用。北大垣駅から歩いて行くと見覚えがある道路に出た。不破の滝に写真を撮りに行った時に車で通ったことがある道だ。安楽寺は聖徳太子創建の寺で、国分寺よりも古い寺である。 | ||
| 養老線大垣駅 第1回と比べ伊吹山の雪が減った | 見覚えのある光景 | 安楽寺本堂と彼岸枝垂れ桜 |
奥さんが丁寧に応対下さり、娘さんがお茶とお菓子を出して下さった。見どころ満載のお寺である。まず内陣の欄間の彫刻に目が行く。阿弥陀来迎図の彫刻のようだが、二十五菩薩ではなく十一菩薩。さらに不思議なのは勢至菩薩と観音菩薩は彫られているが、その中央におられるはずの阿弥陀如来がいない。また国宝の中将姫綴織当麻曼荼羅図の複製があった。観無量寿経の世界を表すこの図の下段には九品往生の絵もあり、奥さんが解説して下さる。九品とは浄土に生まれ変わるときのランクで、上中下の三品(ほん)と上中下の三生(しょう)が組合わさって、最上位が上品上生、最下位が下品下生になる。 私 「私なんかは下の下です」 奥さん 「霊場を回っておられるからもっと上ですよ」 私 「じゃあ中の下ぐらいですね」 このお寺は浄土宗のお寺であるが、昔 住職が京都まで行って法然に会って改宗をしたという。 |
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| お茶とお菓子をいただく | 来迎図彫刻 | 綴織当麻曼荼羅図 複製 |
| 葵の紋が瓦や扉に見えるので訳を聞くと、「関ヶ原合戦で寺地内の勝山に徳川家康が本陣をおいたことから、徳川家の庇護を受けることになった」そうだ。「裏山に登ると碑があります」、「また壬申の乱では大海人皇子が戦勝を祈願した寺で、後に天武天皇となられてから大友皇子の慰霊のために建てられた宝篋印塔の一部もあります」と教えていただき、裏山に登ってみた。 | ||
| 家康本陣跡からの関ヶ原一帯の眺め | 史跡 関ヶ原合戦岡山本陣跡 | 塔の一部と弘文天皇(大友皇子)壬申難古跡の碑 |
| 第二十番 呑竜閣天清院 大垣市赤坂町 | ||
| 中山道の宿場であった赤坂の街並みを抜けて二十番へ。境内に入ると車で帰ってこられたご住職とバッタリ。早口にお寺の説明をして下さった。江戸時代初期の浄土宗の呑竜大士は孤児を集め養ったことから、子育てにご利益があるとされてますとのこと。幟旗には「子育呑龍大士」とある。 | ||
| 赤坂の古い街並み | 呑竜閣天清院 大士のお堂 | 本堂 |
| 第三十一番 明星輪寺 大垣市赤坂町 | ||
| 呑竜閣から2qほどだが、トンネルを抜けてその上の岩山を登って行く。登り疲れたころに東屋が目に入ったので、昼の休憩でおにぎりを食べる。ここは見晴らしがよい。北の方を見ると揖斐の山並み越しに白山が見える。 | ||
| 岩山のトンネル | 金生山の公園 | 遠くには白山 |
| さらに石灰岩の採掘が進む山を登って行く。車道であるが、歩く身にはかなりこたえる坂道だ。六丁目の石標のところで、長く白い髭を蓄えたご老人と挨拶。 私「毎日、山に登られるのですか?」 翁「そう、体を鍛えに登ってる。あんたは?」 私「西美濃三十三所を回ってます。今日で満願です」 翁「そりゃあ目出度い。いいことがありますよ。あと二つだね、気を付けて行ってくだい」 |
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| 石灰岩の採掘が進む山を登る | 六丁目 | 明星輪寺 |
| 明星輪寺は持統天皇の勅願により役小角が創建したという古い歴史のあるお寺で、空海も再興に力を注いでいる。江戸時代には大垣藩主戸田家の祈祷所であったこともあり、独特の雰囲気のあるお寺だ。本堂には僧侶が二人みえ、キビキビとご朱印をいただく。 | ||
| 仁王門から境内 | 地蔵堂 | 本堂 本尊は石仏の虚空蔵菩薩 |
| 石灰岩窟の巌巣公園が寺地内にある | 真っ白なもくれんがいっぱい咲いていた | 縁結び地蔵 願掛けに湯呑を奉納する |
| 第三十二番 円興寺 大垣市青墓町 | ||
| 明星輪寺から山を下って石灰岩を運ぶトッラクを避けながら歩いて4km。円興寺の大きな観音旗は遠くからもよく判った。境内に入ると「大垣市景観遺産」のプレートがあるのに気付いた。何がその景観だろうと考えた。隆々と真白に聳え、はためく観音旗が作り出す景観に違いないと思った。 | ||
| 円興寺 | 「大垣市景観遺産」のプレート | 垂井駅 「祝直木賞受賞 朝井リョウさん」 |
| 円興寺は最澄の創建と伝わる古い寺で、御本尊の観音様も寺伝では最澄作。寺は昔は山の上にあり、そこには平治の乱で敗れ敗走途中に脱落した源朝長の墓がある。地元の青墓小学校の児童達が画いた若武者朝長の絵があった。また境内には梁塵秘抄の碑がある。後白河法皇が青墓の宿の今様の名人”乙前”を師に迎えたことに因んでいる。 | ||
| 源朝長公墓所(享年16歳) | 梁塵秘抄の碑 「遊びをせんとや生まれけむ」 | |
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| 第三十三番 美濃国分寺 大垣市青野町 | ||
| 美濃国分寺までの2q余りは東海自然歩道をブラブラと歩く。自然歩道と言っても田圃の中の道で、ここにかつて栄えた青墓の宿があったとは信じがたい。 | ||
| 東海自然歩道 青墓の宿あたり | のどか〜 | 美濃国分寺 |
この美濃国分寺は江戸時代初期に再興されたもので、本来の国分寺は南側に遺跡として整備されている。おばあさんが丁寧に応対して下さった。満願ということでお菓子までいただいた。 |
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| 精進落としの鯉 | 観音堂 | 満願となってお下がりをいただく |
美濃赤坂の駅まで3.4q、史跡を見ながら今回最後の歩き。一番興味があったのは照手姫水汲みの井戸。若い頃に平凡社東洋文庫「説教節」に収められている『小栗判官』に感銘を受けた。何に感銘したかと言うと、契りを結んだ夫とは知らず、ミイラのようになった小栗判官を乗せてた車を青墓から大津まで5日間、狂人のようになって引いて行った照手姫の健気さに感銘。この場面は一番の泣かせ所だと思う。 が、『小栗判官』はフィクションなので、この井戸が史跡になるのかなと思ったりした。 このように興味深く回った西美濃三十三所だった。 |
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| 美濃国分寺跡 | 照手姫水汲みの井戸 | 昼飯大塚古墳 岐阜県最大の前方後円墳 |