西美濃三十三所巡礼 (画像をクリックすると拡大されます)
第6回  養老町〜大垣市  平成25年3月20日
 
第二十四番 大菩提寺   養老町養老 
大垣駅から養老鉄道に乗換え養老町へ。降りた養老駅は大正時代そのままの駅で、今の世に100年も佇む木造・瓦葺。孝子で名高い養老の滝に向かって進む。土産物店が二三あるがすっかりさびれてしまっていた。大菩提寺は駅から1q。
養老駅 奥は養老山脈 大菩提寺
 
 
第二十五番 養老寺   養老町養老公園  
さらに800m歩くと養老公園の入口に養老寺がある。奈良時代の養老2年の創建と大変古い歴史のあるお寺で、奥さんが丁寧に応対下さった。ここは札所としては珍しい浄土真宗。浄土真宗で檀家を持たれていないというのも珍しい。幼稚園を経営なさっているが、少子化により経営も難しくなってきている由。そんな話をしている間に時間がなくなり、慌てて養老駅に戻った。大垣方面に戻り、美濃青柳駅下車。ここから大垣市内を回り始める。
養老寺 美濃青柳駅 奥はイビデンの工場 かつての揖斐川の本流、杭瀬川
 
 
第二十三番 報恩寺   大垣市綾野町
今日20日は彼岸の中日で檀家の人達が花を持って墓参に来られていた。自分は彼岸の入りの17日に墓掃除とお参りを済ませておいたが、花を供えるのを忘れてしまった。報恩寺を出て杭瀬川の堤防を歩いて街に向かう。余談だが杭瀬川を境に言葉のアクセントが関西風と東京風に分かれるという説があるようだ。
早い桜が 本堂 杭瀬川堤防から
 
 
第二十二番 求浄庵   大垣市久瀬川町
川を越えて大垣の市街地に入ったところに求浄庵がある。無住のようでご朱印はいただけなかったが、小ぶりの本堂の観音堂と台上に高く立つ観音像が印象で、また地域の人達の信仰を集めている様子が伺えた。
求浄庵 右は樹齢170年の銀杏 本堂
 
 
番外寄り道 南条文雄生家   大垣市船町
私が勝手に選ぶ郷土の三偉人の一人、南条文雄(ぶんゆう)の生家・誓運寺に立ち寄った。若干の資料等があるが公開はされていないということだった。南条文雄は明治の初めに真宗大谷派からサンスクリット語の経典を学ぶためイギリスに留学し、9年間にわたり研鑽を積みヨーロッパの仏教学にも功績を残した人で、平凡社の東洋文庫に「懐旧録 サンスクリット事始め」の自伝がある。英語は船の中で片言程度を教わっただけで、大変な苦労をして研究を成し遂げた人だ。
バス停 「元禄芭蕉の街」の統一ロゴ 誓雲寺 本堂
  
 
番外寄り道 奥の細道むすびの地(記念館)
大垣は芭蕉の奥の細道結びの地で、大垣の俳友谷木印との像や記念館が水門川の近くに建つ。奥の細道は芭蕉45歳の時の紀行で、この芭蕉像は精悍な面持ちがある。芭蕉は船町港から水路で桑名に出て伊賀に一旦戻ったとされる。
松尾芭蕉と谷木因の像 船町港の灯台 奥の細道結びの地記念館
 
 
第三十番 全昌寺     大垣市船町
水門川沿いを歩いて全昌寺へ。山門は竜宮門。奥さんが応対下さる。ここでも仏教とお寺の衰退の話が長くなってしまった。お城に向かう途中でますやを見つけた。マスの専門店で、不思議なものを見た気がした。
水門川 水都大垣の象徴 全昌寺 山門 ますや
 
 
番外寄り道 大垣城
大垣藩10万石の居城で、国宝として残ったが空襲で焼失。現在は鉄筋コンクリート製であるが外観は忠実に再現されているという。すっきりとまとまった美しいお城打だと思った。別名”巨鹿城”。
大垣城 公園より 本丸より 大手門
 
 
第十七番 新善光寺     大垣市緑園
大垣城から約2q、途中雨が降り出した。新善光寺は明治14年の開山ながら、御本尊は信濃善光寺から移された恵心僧都作の一光三尊阿弥陀如来像。この御本尊は信州善光寺と同じく絶対の秘仏で、御開帳もされない。寺は濃尾大地震で倒壊し、現在の本堂は明治41年の再建。内陣欄間は二十五菩薩の彫刻であるが、見なかったので再訪しようと思う。
垂井町 古い街並み 善光寺如来 向拝彫刻 牛に引かれて善光寺参り
 
 
第十九番 明台寺    大垣市墨俣町墨俣
大垣競輪場の近くからバスに乗り岐阜方面へ。揖斐川を越え長良川にさしかかかった所に明台寺がある。お寺は留守だった。笑地蔵と彫った石の台のようなものがあった。帰って調べてみると、昔 地蔵尊に似た朽ちた橋杭を村人がお祀りし、後に小野篁が手を加え微笑んでいるように見えたことから橋杭笑地蔵尊と名づけられたとある。そのお地蔵様はどこにあるのだろう?
墨俣から岐阜駅に向かうバスを、家の近くで降り、2.5qを歩いて帰宅した。雨のせいで遠く感じた。
揖斐川を越えて墨俣の町へ 明台寺 笑地蔵?

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