西美濃三十三霊場巡礼 (画像をクリックすると拡大されます)
第2回 揖斐川町・池田町 平成25年3月5日
| 第十二番 観音寺 揖斐川町春日中山 | ||
| 揖斐駅前からバスに乗り川合のバス停で下車、2qを歩く。ここは伊吹山の麓に近い深い谷合の里。今日から暖かくなるという天気予報であったが、ここは平地の温かさとは無縁であった。 | ||
| 川合バス停 | 戦没者墓標 | 境内からの眺め |
| 村の人に出会ったので挨拶をすると、会話が生まれた。「これから猪の防護柵を造りに行くんだよ。カモシカも出るよ」、「人が減って山の手入れもされんので、ゼンマイやワラビも採れなくなったよ」と。 寂しい中山集落に着く、雨戸が閉まった家ばかりで住んでいる人は少ない。そこでも観音旗は翻る。 |
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| 村人 | 中山集落 | 観音寺 | ||||||
観音寺には意外にも人がいた。3月10日の大般若会の準備をされているという。お堂の中には大垣から三寺掛け持ちという若い住職が来られていて、大般若経を出したり台座を出したりと忙しくされていた。 |
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| 第十一番 瑞巌寺 揖斐川町瑞岩寺 | ||
| 川合から揖斐駅へ戻るバスに乗り、新丁というバス停で降り、粕川を渡って歩きだす。3q余りに三寺が連なる。最初の瑞巌寺に行くと、堂々の構えで失礼ながら驚いた。門前に「後光巌天皇勅願所」とあった。頂戴したパンフレットで勉強すると、寺の縁起は行基まで遡るが室町時代の始めに美濃・尾張・伊勢三国の守護となった土岐頼清が父頼貞の菩提を弔うために建立したのが始まりとある。往時は山一帯に堂宇が建てられ、北朝の後光巌天皇が避難した小島頓宮も寺内地にあった。下って江戸時代には大垣城主からも庇護を受けた寺で、瑞巌寺からこの地に禅宗が広まっていった。 | ||
| 粕川 清流 | 瑞巌寺 | 境内からの眺め |
| ご住職が応対下さる。近くの山は3月末から山桜が見頃になるのでぜひいらっしゃいと。なぜかこのご住職とはご縁があるようだ。 | ||
| 境内にて | 本堂 | 山桜が綺麗だと |
| 第十番 平安寺 揖斐郡池田町舟子 | ||
| 瑞巌寺から平安寺へ歩いて行くと「二条関白蘇生の泉」があった。案内板を読もうとしたら大きなワゴン車が私を押しのけるように入ってきた。なんと100本以上のペットボトルを持参している。慌てて一杯を飲んだが、美味しい水であった。平安寺の参道に入ると早い桜が咲いていた。 | ||
| 二条関白蘇生の泉 | 平安寺参道 桜と観音像 | 本堂 |
| 珍しい二重塔がある。高さ5m位のミニチュアだ。応対下さったご住職の説明では、江戸時代にこの地出身の宮大工が腕試しに造ったものだという。おにぎりを庭で食べたる許しを得ると、ご住職がお茶を入れて下さった。ありがとうございました! |
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| 第九番 弓削寺 揖斐郡池田町段 | ||||||||
| 平安寺から1q余りだが最後の300mは茶畑の中の山坂を登るのでキツかった。この辺りは揖斐茶の産地だ。弓削寺は最澄の創建で本尊は馬頭観音、地元では紫陽花でも知られているようだ。 | ||||||||
| 揖斐茶の茶畑 | 弓削寺 | 揖斐駅まで4.1q 白山が見える | ||||||
| 第七番 一心寺 揖斐郡揖斐川町三輪 | ||
| 揖斐駅からバスに乗って揖斐町のバス停へ。そこから城台山に登っていく。登り口は見事な竹林が続く。この山には揖斐城がかつてあり一心寺は城台山公園に接してある。 | ||
| 春だな〜 | 城台山登り口 | 城台観世音菩薩 揖斐の町を見守る |
一心寺は槍ヶ岳開山で知られる播隆上人が天保元年に開いた浄土宗の寺。但し今は無住のようだ。納経帳の案内には、「念仏道場として、一光三尊善光寺如来の分身を安置」とある。 |
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| 見晴台より揖斐の町 | 一心寺 | |
| 第六番 東光寺 揖斐川町小野 | ||
| 一心寺から2.2qを歩くが山道で疲れたせいか足取りが重い。東光寺も最澄の開基とされる。御本尊は乳薬師如来。ご朱印を頂いてからお寺の方と話し込んでいると、瑞巌寺のご住職が来られた。帰りに揖斐駅まで瑞巌寺ご住職に車で送っていただいた。この方も歩くのが好きということで、ナビやら靴やらに話が弾んだ。大垣に戻る列車の時間に間があったので、昼に見つけた駅近くの肉屋さんに行ってホカホカのコロッケを買った。 | ||
| 遠くから見え始めるが、なかなか縮まらない | 東光寺 | おやつにコロッケ |