西美濃三十三所巡礼 (画像をクリックすると拡大されます)
第4回  関ヶ原町〜垂井町  平成25年3月13日
 
第十八番 妙応寺   不破郡関ヶ原町今須 
十八番札所は滋賀県との境にあって、滋賀県側のJR柏原駅からのスタート。3.5qを中山道と国道21号を交互に歩く。妙応寺に着くと、石の門柱がありその向こうに国道21号線と東海道線のトンネルがあり、そして山門がある。古くからの参道を、後に国道と線路が横切ったことになる。うなってしまう景観だ。
東海道線 柏原駅(滋賀県) ここは中山道柏原宿 楓の並木 妙応寺 珍しい景観

JRのトンネルは煉瓦造りで年代物だ。山門をくぐると、美濃最古の曹洞宗寺院で大本山総持寺の直接の末寺という威厳を感じる佇まいである。堂内も無論である。資料館には日本一長い関ヶ原合戦絵巻等々がある。が、これは後でパンフレットを見て知ったこと。ここも再訪しようと思う。
煉瓦造りのJRトンネル 本堂 明治時代の鬼瓦と子安観音

ここの鐘楼は不思議な建物だ。山門から続く回廊が貫通しているのも珍しいが、境内から見ると袴腰があり、外から見ると単に回廊の上にあるように見える。
不思議な鐘楼 外から見た鐘楼
 
 
番外寄り道 不破の関跡
妙応寺から4qの関ヶ原駅へ歩いて行く。この付近から眺める伊吹山は石灰岩の採掘のため形が変だ。余談だが伊吹山は標高1377mながら滋賀県の最高峰(山頂は滋賀県)で、積雪量世界一(1927年2月14日11m82p)と日最大降雪量世界一(1975年1月14日230p)の観測記録を持つ。
不破の関跡が途中にあるので見学しようと立寄る。この地は壬申の乱で大海人皇子が道を塞ぎ、美濃・尾張等の豪族を味方につけ大勢を整えた所で、後に天武天皇となってから不破の関が置かれた。
伊吹山 石灰岩が採掘され山容が悪い 不破関資料館 不破の関跡
 
また関ヶ原の戦いの舞台となった地でもあり、国道21号を歩いて行くと西首塚がある。東西両軍の数千の戦死者を埋葬し弔った塚で、東塚もある。さらに駅の方に歩いて行くと「至道無難禅師誕生地」という石碑が見えた。木札には「関ヶ原宿脇本陣跡」ともある。この旅籠の主人が出家して江戸に出たのは52歳の時という。JR関ヶ原駅からバスに乗る。
関ヶ原合戦 西首塚 至道無難禅師生誕地 JR関ヶ原駅
  
 
第五番 天喜寺     大垣市上石津町一之瀬 
関ヶ原駅からバスを2台乗り継いで川東というバス停で降りる。ここはどこかというと、大垣市とは言え鈴鹿山脈と養老山脈の北端に挟まれたところ。寺名は天喜五年(1057年)に創建されたことから。
山門 元禄年間の再建 本堂 元禄年間の再建 片足だけの仏足石 珍しい
 
 
番外寄り道 竹中氏陣屋跡
関ヶ原駅に戻り、禅幢寺に向かう。禅幢寺近くに竹中一族の陣屋跡があり立寄る。楼門と石垣と水掘が残り、秀吉に三顧の礼をもって迎えられたという軍師竹中半兵衛の像が建つ。像の顔立ちは厳つくはなく優しげに見えた。陣屋とはいえ城のような構えで、不思議に思って調べてみると、竹中氏は江戸時代には参勤交代もあって大名に準じた格とされる旗本交代寄合で明治まで続いたという。
竹中半兵衛像 楼門 水堀
 
 
第十六番 禅幢寺     不破郡垂井町岩手
その竹中半兵衛の菩提寺が禅幢寺。「軍師 竹中半兵衛」の旗が山門に立つ。本堂は1663年の建立。庫裡でベルを鳴らしても本堂の盤木をたたいても留守のようで、ご朱印をいただけなかった。
禅幢寺 山門 叩いて来訪を知らせるが、留守

禅幢寺からJR垂井駅まで4km。垂井の町に入ると古い街並みが散見される。旧中山道の街道筋では、面白いことに往時の屋号と生業を記した木札が各戸に表示されている。これを見て歩いているだけで、当時の街並みを彷彿させる。今の垂井町は平成生まれの直木賞作家朝井リョウ氏の出身地として、少し岐阜では顧みられている。
垂井町 古い街並み 中山道垂井の宿 飯売旅籠屋 中村屋 垂井駅 「祝直木賞受賞 朝井リョウさん」

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