第五回

2005年3月12・13日

東大寺二月堂は十一面観世音菩薩が御本尊で西国三十三所番外札所である。 奈良時代の752年の創建で、毎年陰暦二月に修二会(しゅにえ)が行われていたのでその名がある。 『お水取り』の名で親しみがある修二会は、現在は3月1日から14日かけて行われるが、創建以来 一度も絶えたことがなく、『不退の行法』として実施され続けてきたという。 今年は1254回目になる。
大きな松明が舞台造りのお堂を駆け巡る、、、「一度見たい」と思い立ち、二月中旬に宿を予約した。

   

啓蟄に入り彼岸も近いというのに降り立った奈良駅はみぞれ。 岐阜から来た家内と合流し、昼食もそこそこに駅前のスーパーで傘に帽子と温かいウェアーを買いもとめ、先にホテルで重ね着をする。 奈良公園にある国立博物館に着くと、あられに変りザザーッと音を立てて降ってきた。 鹿にもあられが積もる。

   

鹿はいたずらものだ、読んでいる本さえ食べようとする。 私はポケットに入れていたパンフレットの一部をむしりとられた。

        

奈良国立博物館に入ると張り紙が目に入る、『撮影希望のかたは申し出下さい』。 さっそくお願いして『撮影許可』の緑の腕章をお借りする。 同館の所蔵品に限り、三脚とフラッシュを使わないという条件で撮影が許される。左から菩薩立像(パキスタン・ガンダーラ地方)、方形独尊坐像(中国・北斉〜隋)、十一面観音立像(中国・唐)。


   

博物館から歩いて、南大門をぬけ東大寺大仏殿へ。 現在の大仏殿は江戸時代の再々建、世界最大の木造建築物で中には高さ15mの大仏様。 東大寺のサイトの資料によると、大仏様と大仏殿の建造に8年掛かっている。 また同サイトには、『修二会』で読み上げられる過去帳の一部を紹介し、造営に関わった人々の説明がある。 それによると大伽藍本願 聖武天皇、聖母皇大后宮 光明皇后、行基菩薩から始まって、材木知識 51,590人、役夫知識 1,665,071人、金知識 372,075人、役夫 514,902人の記載がある。 何と、260万近い人々が関わっていたことが分かる。 奈良時代の日本人口(数百万人)と平均寿命(30歳前後?)を考えると、一大国家プロジェクトといわれる所以が分かる。 むしろそれ以上と思う。 大仏造営に関わるまで反体制派であった行基の記帳順位も興味深い。


   

納経帳にお印を頂こうと4時半頃に二月堂に行ったが、すでに千人ほどの人がお堂の下に並んでいた。 石段も閉ざされておりお印は諦め、土産物店でコーヒーと蕎麦をとって休憩する。 12日のお松明は7時30分からで、土産物店の前を大勢の人がお堂に向かって通り過ぎていく。 5時40分に重い腰を上げて、列につくことにした。 それにしても寒い。 この日の人出は新聞によると3万1千人。

   

12日はお水取り当日で、11本のお松明が二月堂にあがる。 7時30分に上堂が始まったが、一向に列が動く気配がない、8時近くになってようやく二人がいた列が動きはじめる。 8時10分頃になんとか、お松明が見える位置までたどり着いた。 警備の警察官が「立ち止まらずに前に進んで下さい、まだ見られない人が沢山います」と呼びかける。 大混雑の中、カメラを頭上にかざし、ノーファインダーでシャッターを押し続けた。
行列に押し流されて瞬く間に堂の外に出たが、11本目のお松明も終わろうとしていた。 かろうじて堪能できる位置に並んでいたことになる。 見れなかった人も多かったはずだ。

   

13日朝はゆっくりホテルを出て、再び二月堂に向かう。 12日は一番人出が多くお堂の下までは行けない、それ以外の日はお堂の下まで一般の見物客も入っていけるそうだ。(お松明は3月1日から14日まで毎日ある)

   

堂を登って行くと、大仏殿や奈良の街が一望できる。 「西国三十三所番外札所」の案内札が掛かる納経所を見つけ、お印を頂く。

       

奈良公園で鹿に煎餅をあげたあと、奈良市写真美術館に立ち寄る。 奈良・大和路の風物を半世紀にわたって撮り続けた入江泰吉氏の作品が主に展示されている。 戦後の奈良の風物写真が興味をひいた。
駅前で昼食をとり、小雪が舞う中 奈良駅から岐阜へ岡山へ。

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