第六回
2005年6月18・19日
三十三ヶ所は去年の12月以来の巡礼となった。 愛車の軽四で廻ることにしたので倉敷を6時45分に出発して、待ち合わせの大阪の摂津富田駅まで約210kmを走る。 空梅雨で朝から日差しがきつい。
山陽自動車道から中国自動車道そして名神とカーナビの教えてくれるとおりに走って、9時45分に摂津富田駅に到着。 四国ではどの駅も「故郷の駅」といった風情があったが、大阪ともなるとやはり趣が異なる。 10時に予定どおりに家内が合流して、駅近くの二十二番札所へ。
第二十二番 総持寺
何故かナビの感度が悪く、最初から道に迷ったが何とか到着。 あちこちに工場が立ち並ぶ中に総持寺はある。 先が思いやられるので、駐車場の交通安全の観音様に道中の無事をお祈りする。 ここは不思議なことに、お寺なのに山門にも本堂にもしめ縄が飾ってある。 神仏混合の名残だろうか、ご本尊は千手千眼十一面観世音菩薩。
第二十番 善峯寺
総持寺から高槻を抜け国道170号を北上して長岡京に入って、地図で見るとポンポン山という変った名の山の麓にある。 このお寺の名物は樹齢600年といわれる五葉松。 『遊龍松』と呼ばれ、高さは2mほどだが枝がうねうねと50mも伸びている。(右上の写真で左手奥の傘のような幹から画面右端まで枝が伸びている) 春の枝垂れ桜も有名。
桜はとうに終わり、青葉も濃くなり興を添えるものがない季節と思いきや、紫陽花が!
大きなお堂ばかりでなく、小さなお堂もあり味わい深い境内。 本堂裏手に御香水井戸があり、冷たくて美味しい霊水を頂く。
第二十一番 穴太寺
善峯寺の山を下って京都丹波道路を通り、亀岡市のチョッと田舎にある穴太寺(あなおじ)に到着。 奈良時代後期の705年の創建で丹波でも屈指の古刹、現在の堂宇は江戸時代末期の再建。 本堂には千社札が高いところまでぎっしり。
まだ夏至前なのに、境内は盛夏の感がする。娘さんが楚々と立ち去って、暑気を払う。
第二十三番 勝尾寺
亀岡の街をウロウロとして中華料理店を見つけ遅い昼食をとる。 お店でナビの進路が地図と合わないので道を教えて頂き、再び穴太寺方面に戻り国道423号を箕面方面に南下する。 箕面市から山の中をくねくねと登って勝尾寺に到着。 アクセルをしっかり踏み込んで登ってきたので、かなり疲れた。 境内に入ると池があり、近寄ると大きな青鷺が水際から飛び立ち、舞いとまる。これがホントの”鳥居”。
勝尾寺はその昔に天皇から「勝王」と寺号を賜ったことから、勝運祈願の寺として有名で、古くは源氏の武将から近くは選挙の候補者やスポーツ選手まで祈願に訪れるそうだ。 その折に授かった「勝ち達磨」は、目的を達すると再び奉納され、境内のいたるところに並べられている。
寺の案内によると、ご本尊の十一面千手観音を、観音化身の比丘が7月18日より8月18日の間に彫ったことから全国観音縁日が18日と定まったそうだ。 広い境内は見残したところが多いが、次の札所のある宝塚に向い箕面の山中を下る。箕面の滝を過ぎたころ山道に何台も車が止まっている、猿だ、数頭の猿が道に下りてきて車の屋根にも座っている。 「この辺は、野猿の生息地で、つやつやと血色のいい猿が、路傍で遊んでいるのも、珍しい見ものである」と、白洲正子さんの『西国巡礼』にあるが、これは昭和48年頃の話で、現実に出くわそうとは。
第二十四番 中山寺
中山寺は宝塚市にあり、阪急宝塚線の中山駅前は門前町の面影を残す。山門には白い奉書に包んだわらじが鈴なりに奉納されている。 「わらじ奉納について」の立札を読むと、昔の巡礼の人々は長い道中を最後まで歩き通せるように金剛力の仁王像に祈願して、わらじを奉納したという。またわらじを擦り減らしたときには奉納のわらじを拝借し、次の札所で新し物を奉納する慣わしがあったという。恥ずかしながら、初めて山門とわらじの関係を知った次第。
このお寺では仏教の布施の精神に通じ、思いやりの功徳を積むとして、わらじ奉納が続いている。
中山寺を6時前に発って神戸のポート・アイランドに向かう、大渋滞もあり8時過ぎホテル着。
19日の朝は9時にホテルを出発して、三田市の山中にある花山院に向かう。 いつも電話番号入力のカーナビ任せで便利というか、横着というか、、、。 花山院境内からは有馬富士が眺められる。
番外 花山院菩提寺
細くうねる山道を登る、軽四では運転も疲れる。花山院(968〜1009年)は冷泉天皇の第一皇子で、天皇在位わずか二年で政争に巻き込まれ19歳の時に出家し、巡礼の祖と仰がれる。
8世紀に長谷寺の徳道上人が閻魔様に、諸人を救うために三十三の観音霊場をひろめよと、三十三の宝印を与えられて生き返った。しかし誰もこの話を信じなかったので、上人は中山寺に宝印を埋めてしまった。出家した花山院がこれを掘り出し、巡礼を行い、その後に巡礼が一般化したと伝えられる。花山院は巡礼後、この地で生涯を終え、寺は花山院菩提寺と呼ばれるようになった。
第二十五番 清水寺
花山院から国道176号を北上、372号に合流してこれを南下、山里を走って清水寺に。京都の清水寺と同じ名前、こちらは播磨の清水寺。 桓武天皇の頃、征夷大将軍坂上田村磨呂が蝦夷征伐の報恩として剣を奉納したとの説明がある。その坂上田村磨呂が京で都の守護のため、この清水寺と似たような場所を選んで造営したのが京都の清水寺という伝えもあり、同じ名前には訳がありそうだ。
古法華自然公園、寄り道をする。
第二十六番 一乗寺
一乗寺の本堂は荘厳な舞台造りで、期待して来たが、修復中であった。 仮本堂でお参りを済ます。加古川から姫路の街を抜け郊外にある書写山ロープウェイ乗り場に。 ロープウェイからは夢前川と姫路市街が一望できる。 長さ780m、高低差210mのロープウェイは往復900円也。 夢前(ゆめさき)川の名前が気に入って、後で調べると「射目前」から明治になって「夢前」に変ったそうで、「夢前」の当て字の初見は紀貫之の古歌という。
第二十七番 円教寺
ロープウェイを降りて、20分ほど山の中を歩いて本堂へ。 途中には三十三ヶ所の御本尊の像が祀られており、大阪の葛井寺の千手観音は遠目からもそれと分かった。 「魔尼殿」と呼ばれる本堂は堂々の舞台作りで、広大な様は西の比叡山といわれるだけのことはある。
まるで山と一つになったような佇まいがいい。 木立に包まれた石段を母と子がゆっくりと登ってくる、観音ゆかりの物語でも紡ぎだされそうだ。
ゆっくりと本堂でお参りをする。ロープウェイ乗り場に戻る途中で、納経帳にお印を頂いてこなかったことに気付き、急いで立ち戻った。 お印を頂き、喉が渇いたので茶店に立ち寄ると、紫陽花が見送ってくれた。
姫路駅で連れとわかれ倉敷への帰路につく。山陽道に入るため国道2号線のバイパスに並ぶ。8時半過ぎに単身赴任先の寮に戻る、トリップメータが示す走行距離はちょうど600km。